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2017年08月14日

恐ろしいけど正に今の世の中のこと「子どもたちの復讐」

こないだ借りた「子どもたちの復讐」
DSC06178.JPG
どうやってこの本に興味を持ったのか忘れてしまったけど、凄まじかった!
これは教育に関心のある親は一度読んでおいた方がいい気がする💦

名門私立の生徒が激しい家庭内暴力の末、父親に殺される(無理心中)事件から裏側を探る本。
特に偏った記述でもなく、客観的な裁判の記録と、そこの学生との対談など。
これを読む限り、そんなに極端な親子の図ではなく、平均的な教育家庭。
子どもが特別よくできる子だったことで有名私立に入学したことと、
親子の微妙なバランスが組み合わさって、たまたまこの悲しい事件が起きたんだと分かる。
この事件は決して特殊じゃない。

以下、印象的なところだけいくつか抜粋💨


「生活が勉強だけ」
「子どもの頃から勉強が生活の中心にある」
「価値観が『勉強していい点を取る』というだけ」
「それが価値観の全部」
「成績がダメになると、結局自分の生活全体に対する疑問として跳ね返ってくる」
「自分は一体今まで何をやってきたんだ」

「『人間的』『精神的に向上した人間』に満足を感じられる生活ができなくなっている」
「『どうせ、おれなんか役人ぐらいにしかなれないんじゃないか』」

「学校と家だけを往復する生活」
「勉強ばっかりやっているので自分の世界が狭い家庭にしかない」
「『自分が望んでこういう道を進んでいるのではない』という感覚がある」
「知らないうちに何かこの学校に入れられていた」
「親が悪いのか社会が悪いのか知らないけれど、『自分のせいではない』というふうな感覚」

「友達と影響し合えるような付き合い方をしてるやつなんて、どれくらいいるだろう」
「結局、みんな大学への予備校としてしか見てない」
「高校から入ってきた友達の場合は、本当に『受験のためだけに』高校に入った傾向が強い」
事件が新聞に出るまで、だれが登校拒否で休んでいるのか、だれが入院しているのか、全然知りませんね。全然話さないというか…」

「中学までは順調にきて、先生がたも成績がいいから、名門校が受かるだろう、頑張れ、となり、本人もその気になって、なんとか、そこへ受かりますね。ところが入ってみると、それこそ、周囲はある意味で非人間的集団で、無駄なことはしない。大学へ受かるための勉強をもう入学の翌日からはじめる。友達付き合いとか、余分なことを一切したがらない

「入校式みたいな時に決意をさせる説教がある」
「『君たちは中学受験に勝つか負けるかで、人生が決まるんだ』」
「『悩んだらいけない』『真っすぐに走れ』」
「この学校でいえば10番から100番くらいまでの生徒というのは、やっぱりある程度の努力をしないといけない」
「何かに疑問を持ったら落ちこぼれちゃう」

周りの雰囲気−教師にしたって『東大に行くのが当たり前、そこから落ちこぼれていくやつはばかなやつ、どうにでもなれ』みたいな感じが満ち満ちている
「勉強のことだけ、受験のことだけ面倒みてる。教師自身の立場、地位に関係してくるから」
「人間的密着とはぜんぜん意味のちがう密着」
「教師と生徒の間がいわゆる予備校と同じで、教えるだけでそれ以外のタッチはまるでない」
「生徒を『いい学校』に送り込むのが教師の任務だと思っている」
「迷いを感じたりした生徒は相談する先生がいない」
従来の感覚でいうと問題のある、異常なことをする子どものほうがまともであり、何かを切り捨てたり割り切ったり平気でできる非人間的な子ほどずっと適応している
「逆に普通の神経を持った、ものごとに感じやすくてやさしい人間らしい気持ちを持っている子どものほうが問題行動の反応を呈している」

「植物学がとくに好きで関心があり、才能にも恵まれている高校生、あるいは中学生がいるとします。その生徒がたまたま、いわゆる『勉強』主要科目が全部できたとします。そうすると『お前、植物なんかやっちゃもったいない。お前ならば一流国立大学の法学部へ必ず入れる。医者か高級官僚の関門をお前なら通る。だから植物なんかやらないで…』ということになっちゃう。周囲がそうさせるし、やがて自分もそう思っちゃう。そうしてその子どもの可能性の芽を摘んでしまっている」
「芽を摘みはじめるのは小学校から始まる」
学校が進学中心の予備校化し、親も進学進学だし、本人も、周りもみんながそうで、小さいときからだんだんそういう思考にならされ、それが当然のように思いこませられている
「親は無原則的に、ただ。『愛情』と物とをどんどん、どんどん子どもに小さいときから与えている」
「日曜はどこかに連れて行く、本はいくらでも与えて何々の勉強だ…次から次へ子どもが消化しきれないほど物を買い与える」
「親としては期待しているわけだ。いいランキングに乗っかって、いいところへいってもらおうという発想が親の側にかなり根強く普遍」

偏差値中心、進学中心思考にもっともとらわれているのが教師と親なのです。そしてその影響で、子どもたちは馴らされちゃってる
「今の教育体系は、幼少のうちにその多様な才能をむしりとり『すきなこと』をなくすことに全力を傾け、馬鹿げた『受験勉強』くらいしか能力のない子どもだけが優越感を抱く『モノサシ一本教育』です

「この母親のいう『高い教育』とは、単に今の日本的偏差値教育にすぎず」
「彼女の語る息子の肖像が『学業』『成績』という面にのみくわしく、ほかの点については全く貧弱な像しか浮かんでこない」
「つまり他の点で完全に務めを果たしている親であっても、子どもの内面に冷淡な対応しかできなければ、子どもは自分の内的世界を表現することを(そしてやがては内的世界そのものを)恥じるようになってしまい、内面の成長は止められてします」


少し古い本だけど、この時代より今の方が顕著かも。
価値観の多様化といいつつ、偏差値中心・進学中心思考が普遍化しすぎてて。

大事な子ども達のこと、こうなって欲しいああなって欲しいと思うのもいいけど
子どもの本当の気持ちを過小評価して親を好きな気持ちを利用してレールを敷きすぎると、
レール上で疑問を感じた時に大なり小なり歪みが出るんだなぁと。
これ、以前にも自分で感じて「親の敷いたレールを進むと」って記事にしてたなー。
posted by うめ at 06:00| Comment(0) | 大事にしたい教育論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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